こんにちは!三重県のお茶農家の嫁、茶むすめです。
昨日の日曜日は夫が私用で終日外出していたため、祝日の今日午前中に仕事を片付け、昼から町内の旅を決行!
『なかもりファミリー 47都道府県制覇の旅]』の「度会町のmission」を進めていきます!
今回の旅も同じ町内で最も遠い「一之瀬」と呼ばれる地区まで遠征します。
宮川と一之瀬川という2つの川に分断され、川沿い以外はほとんど山なので、一度町の中心部に東進してから南下しなくてはいけません。
車で30分近くかかるので、感覚としては伊勢まで出るのと同じくらい遠いです。
『和井野』に続いて『脇出』地区に移動。
度会町の観光情報を参考に、目指すは一之瀬神社と一之瀬城址!
車から立て看板を見つけてレッツゴー!
あれ?なんかこれもけっこう険しい山道な感じ?
うっひゃ~!城址と名の付くものは基本「坂道」だと言うことがすっかり頭から抜けていた。
この時点では「西の城跡」というのが何を意味するのか全然分かっていませんでした。
ようやく「西の城跡」の『主郭』に到着!
看板の下に小さく『青木山』と書いてあるのが気になりはしたのですが・・・
この時点でもまだ私たちは「一之瀬城址」を散策しているのだと思い込んでいたのです。
「背後の警護を固めるため、これより西方には尾根を深く掘った6条もの空堀(堀切)が見られます」と書かれている。ということは・・・
ぎゃー!下って登っての繰り返し!そして険しい!堀切なんだから当たり前か!
空堀群はまだ先が長そうなので、ここらで引き返します。
けっこう上ったので、帰りはもちろん下り。堀や土塁ってまさに山城だね。
下りきってから杖が用意してあったことに気づく。。。これを使って登りたかった!
これは石垣に向かう途中で見つけた「向井将監館跡(むかいしょうげんやかたあと)」誰か住んでいたのかな?
立派な石垣が残っていました。
城址の入り口付近の民家から出てきたおばあさんがゾロゾロと連れ立って歩く私たちを見て驚いたように「ここ登ってきなすったん?まぁまぁ、大勢で、子供さんようけおるんやなぁ」とつぶやいてました。はい、騒がしくてすみません。
基本、山道で何もないので、子供たちは自然と触れ合って楽しんでました。
続いて「ふれあい広場 栗山」へ。
町営の広場には「野球場」「テニスコート」「ゲートボール場」があります。
公園もあって子供たちも大喜び。写真は滑り台のてっぺんで前方にずっこけ頭から滑り降りて大泣きのサブ。
こんなコントみたいな場面も。
道を挟んで反対側にある「一之瀬神社」に向かいます。ここで勘違いをしていたことに気づく。
さっき登っていたのは「一之瀬城址」の中でも『西の城跡』であって『青木山城跡』と呼ばれるもの。
私たちが目指していた「一之瀬城址」ば、こちらの『東の城跡』。ってことは、また上るのぉ~???
やっぱり登ります。神社なので山道ではないけどね。
一之瀬神社ってこんなに立派だと思わなかった!
ハートの石段みつけました!いいことあるかな?
一之瀬神社の前で集合写真!
そして、神社の裏手から『東の城跡』に進みます。
険しい山肌に小さな「←注目」の看板。
ええと、なんだろ?樹の根が岩を砕いている的な???
やっぱり山道険しいです。階段があるのは助かる!この階段はできたばかりでした。
ようやく『東の城跡』の「主郭」に到着!
当たり前だけど、登ったら降りなくてはいけません。
「見張り台跡」もあるようなので、見に行きます。
城下?が一望できます!ここでも集合写真パチリ。
南北朝時代、南朝の拠点であったといわれる一之瀬城址。
この城を本拠地としていたのは豪族愛洲氏で、1337年に伊勢に下向してきた後醍醐天皇の皇子である宗良親王を迎え入れています。
見晴らしのよい高台に宗良親王の御遺跡がひっそりと佇んでいました。
神社へと続く苔むした道も素敵です。
「脇出」地区、最後に訪れたのは旧一之瀬小学校。
以前は町内に3つあった小学校も人口減少の影響で1つに統合されました。
遊具には目がない子供たち。すぐに遊びだしてしまうので、なかなか次に進めません。
「脇出」地区の散策はこれでおしまい。この後、2つの地区を回りたいんだけど、だいぶ陽が傾いてきちゃった。
山歩きが続いて、運動不足な私の膝が笑うように。さあて、暗くなるまで、もうちょっと旅は続きますよ!
今日も茶娘どっとこむの「茶娘日記」を読んで頂きありがとうございます!
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