弾丸東京帰省

茶娘の生活

こんばんは!三重県のお茶農家の嫁、茶むすめです。
母の三回忌で弾丸東京帰省しています。

まさに2年前の今日、節分の手巻き寿司パーティーをしようとスーパーに買い出しに行った帰り道、珍しく父からの着信。
「母さんが倒れて、もうダメかもしれない」
救急車で運ばれた病院からで、今はICUにいるけれど、私が行っても間に合わないかもしれないとのことだった。
駐在先がロンドンから香港に変わったばかりだった兄となんとか連絡をとりながら、大急ぎで支度して東京へ。
衝撃が大きすぎて、「まじかー、こんなことがあるんかー」そればかり頭をぐるぐるしていた。


昨日も娘の高校受験当日でLINEでやりとりしてたばかりだったのに。
年末年始はコロナ禍明けで何年かぶりに帰省して、久しぶりに実家で会ったばっかりだったのに。
別れ際に、いつも通り「これが今生の別れになるかもしれませんが」と笑いあったのが、本当のことになるなんて!


というのも、私の母は早くに親を亡くしていて、自分も若いうちに死ぬものだと思い込んでいた。
物心ついた頃からそういう風に育てられたので、私は結婚したり、子供が生まれたりするタイミングで、自分の母が存在するとは思っていなかった。
でも母が60代、70代と年を重ねる度に「あれ?死なないものなのかな」と思うようになって、母と笑い話にしていたんだ。「死ぬ死ぬ詐欺!」「ずいぶん長い余生ですねぇ」と不謹慎ながらも冗談を言いあっていた。
それがこんなカタチで別れの時を迎えることになるなんて!


夜中に病院について先生に告げられたのは「くも膜下出血で回復の見込みはないこと、現在は人工呼吸器で心臓が動いている状態だけれど、それもいずれは止まること、家族で最後の時間を過ごしてほしいこと」だった。
「まじかー!?」っていう感覚と、「なんか母らしいなぁ」と思ってしまう自分がいて、率直に「悲しい!」とはならなかった。
日付が変わり、親代わりだった母の姉2人にも会えて、私が実家に一度戻った時、父と2人きりだったタイミングで母の心臓はとまった。これもなんか母らしいなーって。


病院でのこと、生前の母の希望を最大限叶えるカタチで実施した葬儀、機会があれば書き残したいけれど、今日はちょうど2年目の雑感を。
単純に「悲しい」「寂しい」という感情はあまり湧かなかった。
でも最近は母がいないことで「つまらない」と思うことが多い。
子育てでのあんなこと、こんなこと、私が日々面白がっていることを、母と共有できないつまらなさ。似た感性、似た思考で、母娘で共有してきたことが突然失われる喪失感っていうのかな。
でも、仕方のないことだとも思う。
それに、母が私と共有したことと同じような感覚を、私も娘に対して感じることができている気がする。
だから、私は変わらず自分の人生を面白がっていたいし、子供たちのことも面白がりたい。そんなことを考えた2月3日でした。

昼食は名古屋駅ホームできしめん
かき揚げきしめん。美味しかった~!
友人と待ち合わせした御茶ノ水駅の聖橋。
高校時代の友人と数年ぶりの再会。
菜の花としらすのピザが美味しかった!
デザートも。久しぶりに思い出話に花が咲きました。

今日も茶娘どっとこむの「茶娘日記」を読んで頂きありがとうございます!
2つのブログランキングに参加しています。 訪問のしるしに下のバナーを押して応援してもらえると嬉しいです♪

農家ランキング  にほんブログ村 企業ブログ 農業へ にほんブログ村

タイトルとURLをコピーしました